西原智彦(「舟の右側」誌 2022年11月号より許可を得て転載)
ナッシュビル声明とは、2017年8月25日にナッシュビルで開催された南部バプテスト連盟内の組織「倫理と宗教の自由評議会」の年次大会において「聖書的男性観・女性観に関する評議会」(以下、CBMW)が共同起草した、人間の性とジェンダーに関する14箇条の信仰声明です。 福音主義神学者のウェイン・グルーデム、ジョン・パイパー、J・I・パッカー、D・A・カーソン、R・C・スプロール、R・A・モーラーJr.らを始めとして、24000人以上の福音派指導者らが実名で署名しています*1。
CBMWは1986年にグルーデムやパイパーらが結成した団体です。「男性と女性は神の計画によって性固有の役割の内で互いに補完し合う存在である」という補完主義を唱えてダンバース声明*2 を発表しました。この声明は以下の言葉で締めくくられています。「これらの原則を否定したり、無視したりすると、家庭、教会、そして文化全般においてますます破壊的な結果を招くと確信しています」。確かにその後、キリスト教会内にも世俗社会にも、性意識の大きな変化がもたらされました。LGBTQ+の課題です。
2012年にゲイのクリスチャンであるマシュー・ヴァインズがメソジスト教会にて「聖書は同性間の真剣な愛を非難していない」と証しをしてYoutubeに公開したことは福音派に反響を与えました*3。さらに2015年に米国連邦最高裁判所が同性婚を合法とし、さらに大きな反響をもたらしました。そのような危機感の中でCBMWは30年の時を経て、ナッシュビル声明を発表しました*4。パイパーはかつてのダンバース声明の言葉を引用してこう記しました。「まさにあの『破壊的な結果』が到来しています。ナッシュビル声明は、それらに対処するものです」*5。
解説と評価
ナッシュビル声明は文化戦争を起こしたり、特定の政治プログラムを支持するためではなく、保守的な教会における性教育文書として記されました*6。聖書的根拠を示すためではなく、性自認、性指向、自己認識といった心理学的概念にイエス・キリストの贖いがどう関われるのかを学ぶための文章です。ただ、不特定多数の現代人が目にする繊細な課題を取り扱う声明ですから、信条風文体ではなく対話調が良かったかもしれません*7。また、語る側にも道徳的退廃と愛に欠けた言動があることを認める謙虚さが必要だったでしょう*8。
1~5条:性の出発点と目標
最初の五条は、アダムとエバの堕落以前の「性の出発点」が強調され、現代人も追い求めるべき目標として「意図され」(1、4条)、「御心を示され」(2条)ているとします。注目すべきは「男性・女性としての自己認識は生物学的性と合致するよう神が計画された」(5条)という主張です。「たとえ性自認・性指向が生物学的性と合致しなくても、生物学的性から自らの男性・女性の自己認識を追い求めるべき」という、ナッシュビル声明の土台が敷かれています。
ここにイエス・キリストは登場しません。人類最初の罪の影響がない「創造の秩序」と呼ばれる理想像が描かれ、現実的ではなくとも忘れてはいけない目標です。しかし、命にかかわる重大な倫理的課題をキリストの贖いに触れない創造の秩序から始めることには、神の愛が伝わらないリスクがあります。
6条:性分化疾患とLGBTQ+を区別
ここでは生殖機能の疾患を取り扱っています。そのために「母の胎から『生殖不能として生まれた人々』(ギ:ユーニューコス)」というマタイの福音書19章12節を引用しています。日本語聖書の多くはこの言葉を「独身者」と訳しますが、字義的には「宦官」です。この聖句には(A)母の胎からの宦官、(B)人に強制された宦官、(C)自分の意思でなった宦官、の三者が登場します。(B)と(C)には比喩的解釈(結婚しない人)もしくは字義的解釈(去勢の人)の幅があります。ただ(A)は多数の学者が字義的に理解し、聖書時代の文脈では生殖機能に疾患をかかえる人と理解できます*9。生物学的不明瞭さと心理学的不明瞭さを区別する、南部バプテスト連盟の理解に従っています*10。
性分化疾患患者にはLGBTQ+と同一にされたくない方が相当数いますので*11、この考察は大変有意義です。ただ、LGBTQ+と一緒に逮捕する国がアフリカには多くあり、性分化疾患患者を難民認定から除外しない配慮としてLGBTQ+に加える状況があることも覚えるべきでしょう*12。
7~10条:性指向の受容、性欲と自己認識のきよめ
ナッシュビル声明の核となる部分で、自己認識(7条)、性指向(8条)、性欲(9条)、そして同性愛行為とトランスジェンダー主義(10条)の評価を行っています。第7条は、生物学的性と一致する自己認識をキリストの贖いの視点から強調します。ここでいう自己認識とは、自らの性の意思決定とそれに従った性的行為であって、同性を愛する性質(同性愛指向)や体の性に違和感をもつ心(トランスジェンダー的性自認)ではありません。なぜなら第8条において、同性愛指向があっても純潔な人生を歩むのであればクリスチャンとして豊かな人生を歩めるだろう、とあるからです。第8、9条にあるように信仰生活において大切なのは、性指向や性自認を変えることではなく、性欲を歪める罪から離れて純潔な人生を歩むこと、これがナッシュビル声明の中心主題です。そのために、同性愛行為やトランスジェンダー主義*13から遠ざかるよう第10条は勧めています。
残念なことに第8条は、同性愛指向にしか言及していません。トランスジェンダー的性自認に関しては、「トランスジェンダー的自己認識」(7条)、「トランスジェンダー主義」(10条)という勘違いされやすい言葉しか登場せず、誤解を与えやすいです。
12、13条:神の恵みによる欲求と自己認識の変化への期待
ナッシュビル声明によれば、変化できるのは性指向や性自認ではなく、「罪深い欲求」(9、10、12条)と「自己認識」(7、10、13条)であり、その主体は「キリストにある神の恵み」(12、13条)です。同性を愛する性指向と体の性に違和感をもつ性自認を持ちながら生物学的性に従った自己認識を選択し続けることは、大変な忍耐を必要とし、キリストにある神の恵みがその忍耐を与えてくださる、とします。
福音派の一部においてこれまでにも、聖書だけで心理療法的カウンセリングがなされたり、特殊な賜物で病を癒やす取り組みがなされたり、信仰と医学の不適切な関係がありました。「神にはできる」という信仰を、どのように体現していくかについては、謙遜さと知恵と、何より愛が必要です。
結語
ナッシュビル声明は5年前の過去の声明です。米国では多様な意見交換がなされ、保守派内にもその功罪を謙虚に認めた新しい歩みがいくつも始まっています。「ナッシュビル声明は、性に関する教会の伝統の再演であり、神学的にも解釈学的にも健全であり、私たちの多くは……その内容を肯定できます。しかしナッシュビル声明は、牧会的には不十分だと言えるでしょう。同性指向や同性同士の関係、あるいはもっと広い意味での性について、現代のポストモダン文化の複雑さの中で語るには、牧会的な感受性が必要なのです」*14という実践神学的視点の重要性を説いたスコット・マクナイトの言葉を覚えて、過去の声明文を日本で適切に活用する知恵が必要です。
- https://cbmw.org/nashville-statement/
- https://cbmw.org/about/danvers-statement/
- https://www.youtube.com/watch?v=ezQjNJUSraY
- Hübner, Jamin. “The Nashville Statement: A Critical Review.” Jan. 30, 2019. https://www.cbeinternational.org/resource/article/nashville-statement-critical-review
- “Precious Clarity on Human Sexuality: Introducing the Nashville Statement .” in Introducing the Nashville Statement: A Coalition for Biblical Sexuality. CBMW, p9.
- Burk, Denny.“Keeping Christianity Weird: Why the Nashville Statement Matters.” in The Hill. 2017/9/3. https://thehill.com/blogs/pundits-blog/religion/349019-keeping-christianity-weird-why-the-nashville-statement-on/
- 「ナッシュビル声明のような文書形態は、古代の信条や告白に遡ることができる特殊な文学的表現です。信条や告白、あるいは正式な信仰声明や宣言の目的はそれぞれ異なりますが、いくつかの共通した特徴があります。 信条の執筆や正式な宣言の構成には芸術と技術があり、ジャンルによって解釈の境界と規則が決まります。これらの境界線は、コミュニケーションが成功するかどうかの測りとなり、意味、目的、正確さの基準等を制限するのです。」Hübner.
- 声明発表から約1週間後にR.A.モーラーJr.が書いたワシントン・ポストへの寄稿文。「私はキリスト教の伝統的な価値観を再確認しようとする福音主義キリスト教徒が採択したナッシュビル声明へ署名しました。すると数時間もたたないうちに、なぜこのように鮮明化させる必要があるのか、と声明文に対する批判が生じました。最も激しい批判の一つは、私たち署名人が歴史的な聖書の性的規範の外で生きる人々の痛みや苦しみを否定している、というものでした。私たちは、彼らが教会で感じている拒絶を認めず、彼らの罪を私たちの罪よりも重大に見せているというのです。はっきりさせておきたいのは、キリスト教徒は世界の破れを理解しているということです。私たちは全人類と同様に、自分自身が罪によって壊れていることを知っています。私たちこそ道徳的に優れていると世界に顔向けする権利は、私たちにはありません。キリスト教徒が愛をもって真実を語ることにしばしば失敗してきたことを私たちは知っており、告白します。」Mohler Jr., R. Albert. “I signed the Nashville Statement. It’s an expression of love for same-sex attracted people.” Sep. 3, 2017. https://www.washingtonpost.com/news/acts-of-faith/wp/2017/09/03/i-signed-the-nashville-statement-its-an-expression-of-love-for-same-sex-attracted-people/
- France, R. T.. “The Gospel of Matthew.” in The New International Commentary on the New Testament. pp.724-725
- 南部バプテスト連盟「トランスジェンダーに関する決議」2014年年次総決議書https://www.sbc.net/resource-library/resolutions/on-transgender-identity/
- 毎日新聞「『第3の性と呼ばないで』 性分化疾患、声を上げた当事者」2022/2/12 https://mainichi.jp/articles/20220210/k00/00m/040/346000c
- 島田順子「アフリカのLGBTI難民支援-迫害される側にいるイエス」LGBTとキリスト教 170頁
- 声明では「トランスジェンダー主義」を定義していませんが、おそらく第7条の後半の「トランスジェンダー的自己認識を採用」してそれにそった行動をとることと思われます。
- McNight, Scot. “The Nashville Statement: A Pastoral Approach.” in Patheos. Sep. 4, 2017. https://www.patheos.com/blogs/jesuscreed/2017/09/04/nashville-statement-pastoral-approach/