困惑の焚き火牧師2 (大頭眞一)

ぼくは焚き火牧師、そして困惑している。

ぼくのセクマイに関する知識は実に乏しい。古くは映画、ボリスアカデミーに出てくるブルーオイスター。ハードなレザーの衣装をまとった人びとの溜まり場だ。あるいは三島由紀夫とか。薔薇族とか。やはりまずゲイカルチャーのイメージが頭に浮かぶようだ。

けれどもセクマイは実に多様だ。特にトランスジェンダー。F to M、M to F これはよくわからない。よくわからないんだが、ルカつちが薦めてくれた何かの本に書いてあった一文に胸を刺された。「女体の着ぐるみを身につけているやうな感覚」(杉山文野「ダブルハッピネス」)という意味の。

これを読んでぼくの鈍い想像力がゆっくりと働き始めた。これは地獄だ。自分の体を見るたびに、アイデンティティと違う性別として話しかけられるたびに、自分を溺れさせようとする異和感の海。想像力が働くとわかるのは、これはぼくにはわからないということだ。ぼくにはわからないのだ。セクマイの苦悩も。セクマイの喜びも。セクマイであるということが。

ここがぼくの転轍点(ターニングポイント)になった。ぼくにはわからないことがある!一生かかってもわからないことがある!だとすれば、ぼくのするべきことは、わからないのに決めつけることではなく、わからないことを告白し、わかり続けようとすることなのだ。困惑し続けることなのだ。