困惑の焚き火牧師3(大頭眞一)

ぼくは焚き火牧師、そして困惑している。

困惑しているときにすることはひとつ。現場に飛び込むことだ。青島刑事の名セリフのよれば、事件は現場で起こっているのだ。ぼくは知らなければならない。困惑しながら。セクマイの人たちが、誘惑に身をまかせて、社会を混乱させようとしているのかどうか。それとも神と人とを愛している神の子たち、つまりぼくの家族なのかどうか。

こうして、ぼくはルカかなと話し始めた。何度も何度も。途中で「大頭つち、それはちがう」と注意されたり、ケンカとまではいかないが気分を害したりすることもあった。そんなことは当たり前だ。人と人が、心と心が近づいていく通常のプロセスなのだ。

そしてやがて、ぼくはルカつちや、かなつちや、弾きちに魅せられてしまった。セクマイに関する二つのQとは関係なく、その存在に魅せられてしまったのだ。何に魅せられたのかを言葉にしてみると、①まっすぐに人と向き合おうとする率直さ②公正にほかの人を扱おうとする正義③迫害するものにも寄り添おうとする愛④未来を切り拓こうとする勇気といったことになるだろうか。あ、もう一つ。これは、ぼくにとっては大切なことなのだが、神学的洞察がある。特にかなつちは、ほとなくして、ぼくが主宰する神学私塾「焚き火塾」に欠かせないメンバーとなって、百万人の福音の「焚き火相談室」にも焚き火相談室」にも登場することになった。

一般論ではなく、個人から。生きている個人の手ざわりから。これは真理に到達するために欠かすことができないステップだ。そのためにはほんの少しの勇気が必要なだけだ。