〈首相のマイノリティー経験談〉
2023年2月には、性的マイノリティーに対しての差別発言をした首相秘書官が更迭。その後、岸田首相は秘書官の差別的発言を陳謝。その際に自身が、小学生時にニューヨークでマイノリティーであった経験を話されました。体験者として当事者理解があることを示されたのでしょうが。しかし、それに対しては、逆に、性的マイノリティー理解の欠如を露呈しているとの批判の声も。
〈性的マイノリティー差別の独自性〉
小学生時のマイノリティー経験は、首相ご本人には、大きな経験であったことでしょう。そして、ご自身の性的マイノリティー理解の基盤となっているのかもしれません。しかし、性的マイノリティーと人種的マイノリティーでは、社会での差別・抑圧において、かなり性質が違うのも事実。性的マイノリティーの差別には、他とは共通しない独自性があります。共通性が大きいように思われますが、実は、独自性も大きいのです。ですから、人種的マイノリティー経験をもって、性的マイノリティーの理解ができるとの考えは、逆に、当事者理解の不十分さを示してしまっているように思えます。
わかりやすく説明しましょう。たとえば、アメリカに住む黒人クリスチャンは、アメリカ社会では差別・抑圧をされても、黒人コミュニティー、黒人教会、そして自分の家庭では、安心して自分でいられます。しかし、性的マイノリティーは、違います。自分のコミュニティーでも、キリスト教会でも、家庭でさえ受け入れられません。差別・抑圧を受けるか、それを避けるため自らのセクシャリティーを隠すか、マジョリティーを演ずるしかありません。その孤立感、疎外感を想像してみましょう。
〈首相の振り見て我が振り直せ〉
その意味で、岸田首相のマイノリティー経験談は、ご本人としては誠実な思いであったとしても、客観的には、また、当事者にとっては、理解不足の露呈として、受け止められるのでしょう。
そこで「首相の振り見て我がふり直せ」です。クリスチャンが、良かれと思い、性的マイノリティーの方に、自らの被差別体験やいじめを受けた経験を話すことがあります。それは、愛の故に身を切る真実な語り掛けに違いありません。しかし、動機は正しくても、逆効果になりかねないことを、首相から学びたいものです。
愛とは、このことのように相手を理解しようとする努力から始まります。その上で、自らを相手の立場において想像することから、その愛は、相手に届くものへと成長するのでしょう。